思考する手足

 

 

 

脳みそで、考えるのをやめよう。

 

 

 

にんげんって

効率的にできてるようで

本当、いろいろ試されてる。

 

 

 

だって

 

 

考えるのも

見るのも

話すのも

食べるのも

聞くのも

 

 

 

ぜーんぶ身体の一番上にある

顔の中なんだもん。

 

 

 

それじゃあ

ただ生活しているだけで

意識がぜんぶ頭にのぼってしまうよ。

 

 

首から下にもたくさん身体はあるのに

手や足は勝手に動いてる感覚で、

意識の惰性でしかない。

 

 

 

 

生きてる間、もったいないくらい

「あたまでっかち」なんだ

 

 

 

 

それは言葉の通り

全身で感じられていないし

包括的に捉えられていない

 

意識があたまのうえで交差して

こんがらがって余裕がなくなっていくんだ。

 

 

 

 

その状態で話す言葉は

とんがってしまうし、

自分勝手になってしまう

わかることもわからなくなってテンパる。

 

 

 

同じところで考えるから

神経も意識も交通渋滞しちゃうんだよね。

 

 

 

 

いっかい落ち着いて、

 

集まりすぎた意識を、返す。

 

 

 

 

 

もう考えるのも感じるのも

足の裏くらいがちょうどいい。

 

 

足の裏で見て、

足の裏で感じて、

足の裏で話す。

 

 

 

 

不思議なことに

そうやって意識すると

 

 

足の裏が考え始めるんだよ。

 

 

 

 

……まぁ ちょうどこの辺りでね、

 

「やっぱこいつ頭おかしい…」

とコレを読んでいる誰しもが思うのだろう。

 

もうそんなこと、お見通しすぎて

おちゃのこさいさいですよっ!!

(ナゾの余裕感。)

 

 

 

 

いいから1回、

いや100回くらいやってみて。

 

足の裏で考えてみて。

 

3回くらいで諦めちゃだめだよ・ω・

 

 

 

そしたらわかるから。

頭のなかの交通渋滞がすっきりして

地に足がついて

すごく落ち着いて全身で考えられてる感じが。

 

 

いつもは相当にこんがらがった状態で

過ごしてたんだな〜って。

 

 

 

 

考えるのは脳みそだって決めつけるより

手も足も思考するんだな〜って思う方が

 

楽になったりするんだ。

 

交通渋滞がなくなると余裕がうまれるから

すこし違う自分になれる。

 

 

 

 

 

こうやって私たちは

からだの使い方を通しても

意識の本来のありかについて

考えさせられるようにできてる。

 

考えないとうまくいかないようにできてる。

 

 

察するに、

 

この身体を設計した何者かの意図としては

 

 

「ほ〜らほらほら、

 目も鼻も口も耳も脳みそも

 あたまにぜーんぶつけちゃったよ〜〜?

 君はそのまま身体を使うのかな〜?

 この違和感に気づけるのかな〜〜?」

 

 

という具合でしょう。

 

 

 

ほんと試練好きだよね。

試練ばっかりで楽させてはくれぬ世界よ。

 

 

 

 

 

 

毎日こんなことばっかり考えててさ、

 

わたしはこの社会に適応できてるのだろうか?

果たしてこれは適応しているというのだろうか?

と思うけど、

 

個人的にはとてつもなく適応していると思っている。

 

ありがたい性格で生まれてきたものだ!!

 

ありがたやーーーー!!!!

 

 

 

 

 

 

 

もうすぐ音源が発表できそうです。

 

Aさん:(いつまで待たせるんやー!!!)

Bさん:(もうすぐもうすぐ詐欺やないかー!!!)

Cさん:(もうすぐっていつやーーー!!!)

 

 

わたし:・・・もうすぐでーす!!(・ω・)/

 

 

 

 

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